大安禅寺
この度、大安禅寺が東京禅センター様主催「第2回オンライン寺ツアー」に参加させて頂きました。
なにぶん手前での資料作成とあって戸惑いつつも事務局様の手助けのおかげで無事終えることができました。



コロナウイルスの影響で観光の在り方も様変わりしている昨今、オンラインツアーも身近になりつつあります。

この企画についてはオンラインなので、できるだけリアリティーを生み出すことが肝心だと思いましたが、実際実施してみて感じたことはやはり視聴者様に「おもてなし」の心をどれだけ届けられるかということです。

進行の仕方や映像の見せ方、視聴者様が最終的に大安禅寺に、その観光地に行きたいと思って頂けるような配信が出来ればオンラインツアーは素晴らしい観光ソフトとして成り立つように思います。

引続き個人的にもブラッシュアップして大安禅寺の魅力発信の一つとして確立させていきたいです。

不慣れな点が多くありましたが、ご参加下さった皆様本当にありがとうございました。そして、司会進行を務めて下さった龍雲寺様はじめ事務局の皆様には心より感謝申し上げます。


さて今回のオンライン寺ツアー内でご紹介しました、大安禅寺開山の大愚禅師の「遺偈」について書き添えておきますので、どうかご覧くださいませ。


大愚宗築禅師「遺偈」によせて


 大安禅寺の開山として迎えられた大愚宗築禅師は、天正十二年(一五八四)美濃生まれの江戸初期の高僧として知られています。当時の仏教界は、江戸幕府の成立も有り、寺院の地位などが保証される制度がなされ、伽藍の整備や、経済的に潤うも、肝心な中身である仏法の護法においては衰退の一途を辿っていました。
そのような時代にあった大愚禅師は、禅宗においても坐禅が廃れ、蜜参禅のみが世の中の風潮になりつつあることを危惧し、悟りを求めて諸方の師を訪ね参禅する「遍参」という禅宗本来の修行形態を復活させるため「仏教復興運動」を起こしました。
その生涯は妙心寺派の復興に大いに貢献することとなり、全国に三十六ヶ寺を開山復興し「大愚下三十六刹」と呼ばれています。大安禅寺はその三十六ヶ寺目のお寺であり、かねてから示寂(亡くなる)の時は大安禅寺でという光通との約束を守り、寛文九年(一六六九)、八十六年の生涯を当寺で終えました。



 「遺偈」とは禅僧が末期に臨んで自らの境涯を偈とし、その教えを後世に遺すものです。一般的に言えば「遺書」なるものです。
大愚禅師の「遺偈」も大安禅寺に伝わり大切に保管されています。



西天的子 せいてんのてきす
東海崑崙 とうかいのこんろん
平生受用 びょうじょうのじゅゆう
不二法門 ふにのほうもん
    咄

 入滅三日前書
   大愚老衲
 ※亡くなる三日前に大愚自ら書す


【私訳】
印度釈迦達磨の教えが、日本に伝わり祖師方によって脈々と受け継がれてきた。
しかし、その教えとは何とも手のつけようがないものだ。
その教えを、伝えるとすれば絶対平等の教えである。
維摩の一黙の如し。

 大愚禅師が最後に弟子たちに何を遺したかったのか?この「遺偈」を紐解けば解りますと言いたいところですが、「遺すものなんてない」というのがこの偈のメッセージと私は読み取っています。
お釈迦様の教えである仏教は、インドより達磨大師によって中国に渡りました。そして達磨大師が禅宗を興し中国文化の中で更に発展していきます。その教えは、祖師方によって脈々と伝えられ日本文化と相まって現在の日本の禅宗があります。その真理とは達磨大師の「不立文字 教外別伝」の如く言葉に言い表せられないものですが、あえて言語化されたものが「空」「無心」「無事」といった心境であります。

 さて、大愚禅師もその真理を偈中で「崑崙」と仰っています。「何とも手のつけようのないもの」といったニュアンスでしょう。しかし、それを伝える手段として言うならば「不二法門」であると。
「不二」とは対立が無いということです。善悪、好嫌といった二元的に私たちは判断しがちですが、その分別から離れたところこそ禅の悟りであることをしめしています。

 そしてこの「不二法門」とは大乗仏教の経典の一つ「維摩経」に出てくる有名な話のことを指しています。また、禅宗の大切な公案(禅問答)の一つとして『碧巌録』第84則に「維摩不二法門」という題で収められています。


擧す。維摩詰(ゆいまきつ) 文殊師利(もんじゅしり)に問う。「何等(なんら)か これ菩薩の入不二(にゅうふじ)の法門なるぞ」

文殊曰く「我が意の如くんば、一切の法において、無言(むごん)無説(むせつ)、無示(むじ)無識(むしき)、もろもろの問答を離(はな)るる、これを入不二の法門となすなり」

ここにおいて文殊師利、維摩詰に問う。「我ら各自に説(と)きおわれり。仁者まさに何等か これ菩薩の入不二の法門なるかを説くべし」

雪竇云く「維摩、什麼(なん)とか道(い)わんや」
また云く「勘破(かんぱ)し了(おわ)れり」

 これは維摩が菩薩たちに不二法門、すなわち悟りに至るにはどうすればよいのか?と問うて説明を促した場面です。菩薩たちが一つずつ不二の法門に入る事を説明すると、文殊菩薩が「すべてのことについて、言葉もなく、説明もなく、指示もなく、意識することもなく、すべての相互の問答を離れ超えている。これを不二法門に入るとなす」といいました。
続けて文殊が我々は自分の見解を説明したので、今度は維摩の見解を説くように促しました。しかし、維摩はじーっと黙り語らなかったのです。
文殊はこれを見て「なるほど文字も言葉もない、これぞ真に不二法門に入る」と讃嘆したというお話です。

 私たちに置き換えて考えると、今までの人生を振り返り、その心境を一言で説明してみなさいと言ったところでしょうか。しかし、各々人生も様々な縁の中で紡がれ悲喜苦楽あるものです。それを一言で説明しろと言われても、なかなか難しいもの。

 「もの言えば唇寒し秋の風」

 と言いましょうか、語れば語るほど余計なものになってしまうように思います。

「何も言えねぇ」

 この言葉に聞き覚えはありますか?

 北島康介選手が2008年北京五輪の競泳男子100メートル平泳ぎ決勝を、58秒91の世界新記録で制した直後に「今のお気持ちを一言で」という、インタビューに答えた言葉です。ですが、その約10年後に「実は山ほど言いたいことはあった」と告白しています。

 レース直後で、頭を整理しきれなかったのもありますでしょうし、こみ上げるさまざまな感情が爆発し、涙を流しながら答えたあの場面は今でも忘れられません。喜びも当然大きかったはずですが、それだけではない。「喜び+何か」。心の奥底まで計り知れない本人にしか分からない心境が必ずあります。前回オリンピックの金メダルに続いてですから、その4年の間の周りからの重圧からの解放、安堵感がレース直後の心のうちを大きく占めていたように思います。

 あの言葉を前に私たちの賛否や評価など全く必要はありません。禅は実地での経験体験を通した実感を重要視します。そして、その気付きを大切に自分自身で育てていくことで、いつしか昇華され自分自身の人柄となるのではないでしょうか。

 大愚禅師が示した教えも、禅とは他人から得るものではなく自分の中に既にある素晴らしい心に気付くことであり、その為には「怠ることなく禅修行せよ自己研鑽し続けよ。」というメッセージに私は思えてなりません。
 
 今為すべきことを見誤らずどんなご縁も引き受けて自分の足で歩み続けていきたいと「遺偈」を見る度に自分の現在を省みるのです。


 
大安禅寺